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デッサンとタブローのはざまに

  庭石の かげろへる 静か鳥影す   種田山頭火

  「静かな絵」が好きである
   私にとって「静か」とは「画面から音が響いてこない」ということである。


美大を出たが画家にはなれなかった。舞台美術を専攻したが結果はプロダクトデザインに行き着いた。
第二の人生を目前に縁あって障害をおもちの方々の就労支援を、時間を見てお手伝いすることになった。長い企業経験を活かし面接の受け方から企業での仕事の仕方、「ホウ・レン・ソウ(報告、連絡、相談)」などの基本を指導している。

しかし障害の程度により就労を希望しても、なかなか希望が叶えられない方々も多い。そんな方々に人生の目標を持ってもらえればと絵を教えるようになった。

デッサンを教えてはいるが、実はもう20年以上アカデミックな絵を描いていない。口で伝えるより、実際に描いて伝えた方がわかりやすいのは自明の理である。実際に描いてみたら・・描けない!情けないぐらい腕は錆び付いていたのだ。

まずはチラシの裏にちょろっと描いてみた。描けない、戸惑っている、アカン!

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それから毎日毎晩、僅かな時間でも描くようにしている。身体は正直だ。訓練していれば昔しとった杵柄、少しずつだが手は動くようになってきた

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画面のトーンが揃わない

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思い描くような絵にならない

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ちなみにこんな環境で描いている
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好きな絵は「写実画」。写真と見まごうような「究極の写実画」が好きだ。学生の頃はちょうどエアーブラシが出始め、写実画に凝っていた。そして時間があればデッサン室に出向き、パンをかじりながらひたすら石膏像と向かい合っていた。

「写実」も最近の画材やテクニックの進化で「スーパーリアリズム」「ハイパーリアリズム」となり、もはや恐ろしい描画力である。本当に筆と絵の具で描いているのかと、絵を知っている私でも凝視してしまう。

私が好きな作家は私に写実画の素晴らしさを教えてくれた「アンドリュー・ワイエス」

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 「クリスティーナの世界」 この絵が私の世界を広げてくれた

マドリード・リアリズムの画家「磯江毅」
惜しくも若くして亡くなられた

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 この絵はワイエスへのオマージュとして同じポーズで描かれた鉛筆画

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 これは凄まじい画力だ

そして巨匠「野田弘志」

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 無音の音が響く 画伯の画集を模写しながら日々研鑽している

それなら写真で良いじゃないかと言われる方は是非実物を鑑賞して欲しい。写真と違いすべての画面にピントが合っている。そしてその絵を仕上げるまでに費やされた膨大な時間と、表現する為に培った画家の努力。作品の前では「すべての音は響かず、その世界に畏怖すら感じる」

私のテクニックではどれだけ膨大な時間をかけても表現できない。今は黙々とデッサン(習作)に励んでいるが、いつかタブロー(完成作)に至れるのならば、その狭間に何を見て、そして響かない音を聞くことが出来るのだろうか



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   わたしひとりの音させてゐる    種田山頭火

「スピードの中で精神は肉体を超越する」

 思いはぐるる 月星夜 森の心澄む   種田山頭火

「スピードの中で 精神は肉体を超越する」

これはアラビアのロレンスの言葉だ。オートバイのロールスロイスと言われる「ブラフ・シューペリア」に乗り、オートバイの事故で他界したトーマス・エドワード・ロレンス卿。この言葉は昔からオートバイ乗りの常套句でもある。
これは「ライディング・ハイ」を表現した言葉とも言われるが、オヤジはそれだけでは説明が付かないと思っている

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       アラビアのロレンス

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  ブラフ・シューペリアに乗るロレンス

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  「Came on Man!」 この映画は名作だ

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     ブラフ・シューペリアね オーラを放ち現代に甦っているのだ


確かに高速道路を長時間ハイスピードで走り続けているとドーパミンが放出され「ライダーズ・ハイ」になったようなこともある。オートバイ乗りなら誰でも経験ある、高速で走っている時に感じる不思議な浮遊感。集中してワインディングを走っている時に感じる無重力感。果たしてロレンスはそのことをこの言葉に込めたのだろうか。

機械との一体感・・人馬一体となった走り・・・それは果たしてスピードという観念の中ではどう理解すればよいのか。

オヤジはZX12RやZZR1400を乗り継いできたので300Km/hと言う世界を知っている。巡航速度200Km/hオーバーでタンクが空になるまで走り続けた事もある。だからこそロレンスが言った「スピード」は「ハイスピード」のことではないと思うのだ。

歳を重ね今は頑張ってアクセルを煽っても最高速140Km/hがやっとというオートバイに乗っている。田舎のたんぼ道を60Km/hで走っている。それでも「精神は肉体を超越する」瞬間があるのだ。風はやみ、音は消え、振動は離れ、心を満たしてくる何か・・

この言葉は昨日Twitterで若いバイク乗りとツィートしているときに、ふと思い出した。若者は若者の感覚でこの言葉を「スピードは自分の精神以上に身体を働かせる何かを秘めているのかなぁ」と言った。感動した!

オヤジが初めてこの言葉を知ったのは、きっと今の彼と同じ年頃の頃だったと思う。当時「週刊プレイボーイ」に連載されていた「ケンタウロスの伝説」の中で語られた言葉だった。「スピード」はまさに「ハイスピード」速ければ速いほど精神は肉体を飛び越え何かをもたらすと思っていた。でも何も感じなかったのだ。

今の若者はオヤジが思う以上に素晴らしい感性を持っている。そしていつかこの言葉が持っている「なにか」を自分のオートバイ人生に描き込んで欲しいと思うのだ

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  ヨコハマに実在する「ケンタウロス」を扱った漫画 これも名作だ



オヤジはこの先何年もオートバイに乗り続けるだろう。何年かしたら近所の畑に野菜の世話をする為に荷台に鍬をくくりつけたカブに乗っているのだろう。長靴履きでカブを走らせながらでも「スピードの中で精神は肉体を超越する瞬間」がくることを信じて疑わないのだ



「ケンタウロスの伝説」の中で、オヤジの心に今でも残る一文がある。主人公が「オートバイに乗ること」がどういう事か気がつく時に謳われたアルチュール・ランボーの詩

  「見つけた! 何を 永遠を 海と溶け合う太陽を!」  アルチュール・ランボー

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この「永遠」という詩はランボーの代表作だ。ジャン=リュック・ゴダールの映画「気狂いピエロ」のエンディングシーンにこの詩は使われている。映画自体全く理解不能だったが、この詩が使われているラストシーンにオヤジは肉体を超越する何かを見たのだ

しかしオヤジの脳裏に浮かぶ映像は・・・正直に言おう これだ!    ふじこちゃ〜ん

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  投げ出された肉体が あざ笑ってゐる   種田山頭火




夏を語る二つの言葉  老練なピーター・フォンダの後ろ姿に

   こころ疲れて山が海が美しすぎる  種田山頭火

私は中学生の時に「イージーライダー」をリアルタイムで観た早熟なガキだった。バイクとは乾いた夏の大地を、太陽を浴びて走り続ける物だと、ラズロ・コバックスの映像に感化されたのだ。この時期になるといつも心に浮かぶ、夏をキーワードにした二つの言葉を紹介したい。

「夏はただ単なる季節ではない。それは心の状態だ」

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片岡義男のオートバイを題材にした小説は、私がバイクと供に過ごした青春期のバイブルである。氏の小説のなにを最初に読んだかは全く覚えていない。そして本棚には別冊アトリエ、ユング、アドラー、澁澤達彦、開高健と真っ赤な背表紙の角川文庫が圧倒的な数で鎮座していた。新刊が出るたびに買い足し、片岡義男ブームの一翼を担っていたのである。
時代と供にあらかたの小説の内容は忘れてしまったが、今も鮮明に覚えている一文がこれである。しかもこれは氏には申し訳ないが小説の一文ではなく、あとがきの一文なのである。

「夏はただ単なる季節ではない。それは心の状態だ」この一文が心の琴線に触れる人はバイク乗りだけではないだろう。夏に旅するすべての人に「そうだ、夏は心の状態だったんだ」と気づいていただきたい。若者ほど夏に対する思いが大きい。それは肉体を超越するハイな心を持っているからだ。初老と呼ばれる年代に近づき強くそう思う。以下にその後書きを記載する。

ずいぶんまえにカリフォルニアで観た、アメリカ製の波乗り映画のなかで、若い素人のナレーターが言っていたひとことが、いまでも忘れられない。夏、という季節について、彼は、「夏はただ単なる季節ではない。それは心の状態だ」と、日本語に置きかえうるようなひとことを、言ったのだ。
(片岡義男著『限りなき夏1』あとがきより角川文庫/1981年)


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「また来年、俺に夏が来るとは、もう誰も保証してくれない」

歳を重ね、この言葉と出会った。大したヒットもしなかった映画「Wild Hogs 団塊ボーイズ」で主人公のジョン・トラボルタが言った言葉だ。中年を過ぎ、今更後戻りも、やり直しも難しい男が今年を生き残り、また来年も夏が来る保証はもうない。と悪態をつくのだ。

若い頃は夏が来ることを楽しみにし、ロング・ツーリングの計画を練っていた。毎年自分に夏が来るのは当たり前のことで、わずかな疑義を持つこともなかった。でも還暦間際の今は・・・そう自分自身で確信を持ってそう思えないのである。今年の夏はまだしも、来年の夏なんぞは本当に来てくれるか、夏前に胃カメラと大腸カメラ検査が待っている自分には、まさに誰も保証してくれないのである。

この映画は中年オヤジ四人が自分の存在意義を再確認しようとそれぞれの思いを胸にハーレー・ダビッドソンに乗り大陸横断を目指す物語だ。おかまの警官に追いかけられたり、暴走族とけんかしたり、はちゃめちゃな映画だ。途中早送りしてもよいが、最後のシーンを絶対見逃してはいけない。短いショットだが、あのピーター・フォンダが圧倒的存在感でカメオ出演している。その姿にイージーライダー世代は身震いする。
大乱闘を一瞬で納め、彼はこう言うのだ”ride hard or stay home. Oh, and guys... lose the watches.” 「おまえ達 安穏とした暮らしなんか求めるんじゃねーぞ  それからな 時計は捨てろ」と、そして年季の入ったチョッパーで走り去る後ろ姿に「キャプテンアメリカは生きていた」と確信するのだ。

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  こんな画像しか見つからなかった
動画はこちら https://www.youtube.com/watch?v=bl6j-wv4200 11:15~13:20に出演!
ただしアラブの国のアフレコなのでセリフは解りません。

ピーター・フォンダにやられてつい脱線したが、本題に戻そう。自分にとって夏は今年も無事迎えられたと感謝する「里程標」になってしまった。今年の夏、また乾いたアスファルトの道を、太陽に焼かれ、オーバーヒート気味の空冷エンジンに鞭を入れながらツーリングに出られるとしたら、そのことを神に感謝しなければいけない。その時にはこう言おう「また、俺に夏が来た」

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   このときの夏に「黄昏」を深く想う

30年の時を経て、最後の1ページを差し込んだ

    空へ 若竹のなやみなし 山頭火

二十代の頃、東急田園都市線の溝ノ口に住んでいた。そこから246号を使い勤め先の渋谷までバイクで何分で行けるか。毎日そんなアブナイことをやっていた。ちなみに深夜2時、当時乗っていた壊れそうな音を立てるカワサキで17分という記録を作った。もちろん信号は守ったが、スピード規制は守らなかった。

その頃バイク乗り達が大好きだったのが片岡義男氏の角川文庫、赤い背表紙の本だ。片岡義男氏の妙にクールな文体、大谷勲氏の気温まで写し取った写真、そして大きなバイクに乗った白いTシャツの華奢な女性 三好礼子さん

    「幸せは白いTシャツ」

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青春の一時期にバイクに乗っている自分を映像として風景に重ね合わせる楽しみを教えてくれた小説だった。そして彼女にツーリング先で出会いたいと叶わぬ夢を見たものだ。

出会ってから30年、この本はずっと書棚から消えることなく私と一緒に人生を歩いてきた。そして

  いつか三好礼子さんと一緒に笑っている自分の写真をはさみ、最後の1ページにしたいと思った。

そんな思いを30年間忘れずにいた。何年もかかって心の片隅に貯まってしまった「澱」。そう、こんな思いを「澱」だって言う人もいるだろう。でもね、旨いワインには「澱」はつきものだ。その澱を濁らせずにそっと光の下に戻してやると「青春の残り香」ってヤツに触れられる。

そして今日、最後の1ページに30年という時を経て、想いのこもった写真を差し込むことが出来たのだ。

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勢国堂の牛乳パンを食べながら 牛乳パンのパッケージの謎を考える

山頭火の句にパンを詠んだ句は無い。たぶん嫌いだったのだろう。従って呟きようがないのだ。ちなみに牛乳も調べたが見つからなかった。

さて本題。「牛乳パン」って長野県周辺のごく狭いエリアの食いモノなのだと知っているだろうか。

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以前「牛乳パン」って全国区だと思っていたら北海道の友人は知らないと言っている。東京で暮らしていた時も、お目にかかった記憶がない。大手製パン会社製品に「牛乳パン」というモノがあったが信州人にしてみれば似て非なるモノである。まして最近セブン・イレブンで見かけるモノなどは「違〜う!」と言い切ってしまいたい。

  私的牛乳パンの定義
     ・町のパン屋が自家で作りで売っている
     ・生地の表裏は焼き色が付き、若干の塩味が付いている
     ・長方形のブロック状に切り出す
     ・水平に二つ割りし、白くて甘いクリームをたっぷり塗る
     ・乳白色でふにゃふにゃのビニール袋に入っている
     ・袋の表面には手書きのレトロなイラストが描いてある
     ・密封はセロテープでする


この牛乳パンには大きな謎があるのをご存じだろうか。レトロで昭和の香りが漂うビニール袋のイラストのことである。

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この微妙な違い、おわかりいただけるだろうか。半ズボン(昭和の頃は半ズボンと呼んでいた)をはいた少年と少女の顔、牛の顔なのだが、長野県、新潟県、どうも静岡県でもこの袋が使われているようなのだ。しかし似ているが同じではない、微妙に絵が違うのである。そしてパン屋の名前があったり無かったり・・。
これはどこかのパン屋のモノが元祖で、他のパン屋が手書きで写し、製袋屋さんに印刷をお願いしたのか・・普通そう考える。市販品を買ってくるなら解るが、わざわざ他のパン屋のまねをするだろうか。

有能な製袋屋の営業マンが店ごとに「こんなの、どうでっしゃろう」と手書きで売り込んだのか。謎は深まるばかりである。
いつか調べてみたいところだが、年金暮らしの爺ぃさんになってからの楽しみに取っておこう。その頃にこの牛乳パンが絶滅していないことを願うばかりである。

蛇足ながら小学校の給食はコッペパンだったが、ごくまれに牛乳パンが出たときの我々ガキどものテンションアップは半端ないモノがあったな(遠い目)

意外と牛乳パンに関して書かれたブログは多い。どれも徹底的に足で探し出した素晴らしいブログなので興味のある方は是非検索してみて欲しい。
プロフィール

cjjfish

Author:cjjfish
信州からオートバイ乗りのオヤジがツーリング、燻製作り、家庭菜園のことなどを種田山頭火の句と織り交ぜ書き連ねます

  山あれば山を観る
 雨の日には雨を聴く
    春夏秋冬
  あしたもよろし
  ゆうべもよろし
すなおに咲いて白い花なり

   種田山頭火

Twitter つー坊 @cjjfish

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